反射する光と透けた光 〜緑陰の心地よさ

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らせん教室ではときおり自然観察会をします.
そんな折に井手先生がよく指摘するお話をしてみましょう.

葉の表と裏の観察

木の葉に注意を向けます.
ある葉にはその表側に光が射し、反射しています.
別の葉にも光が射していますが、こちらはその裏側が見えていて、光が透けています.
よくある、何気ない光景です.

この時、それぞれの葉を見ている時の自分の感覚に注意を向けてみましょう.

できれば続きを読む前に、上記のような状況を、公園の樹々や街路樹などで見つけて、実際に観察していただけると、いっそうよいかも知れません.
やってみる場合は、短くとも5分ほどは同じ場所に立って、見続けてみてください.
こんなことは普段はしないと思います.ちょっとした非日常体験を楽しむつもりで試していただけると嬉しいです.

光の反射と透過

葉の表側を見ている時、言い換えると光が反射している状態では、葉の形や質感、あるいは葉脈や細かい毛が生えているとか、そういったことに意識が向きやすいと思います.他方、葉の裏側を見ている時=光が葉を透過している状態では、美しい緑色に注意が向きやすい.細かな形状や細部への意識は、そもそも逆光で見えにくいということもありますが、薄れています.

実際に試してくださった方には伝わりやすいと思うのですが、表側を見ている時は形状を認識する方へ頭の働きがシフトしているのに対して、裏側を見ている時は色を味わうほうに頭がシフトしていることが感じられます.後者の場合は、頭というより心にシフトしている、と言ったほうがいいような気もしますが、ここではその問題は置いておいて、ともかく思考の働き方が異なる、という点を意識してみて欲しいのです.

緑陰の心地よさ

ここからはわたしの解釈と体験が多分に含まれています.

緑陰に立っている時、私たちは心地よさに包まれます.その頭上にはさわさわと光を透かした葉が私たちを覆っており、その光のなかで私たちの心は緩み、呼吸も深くなっていくでしょう.逆に物事をはっきりと認識するには、表側を見ている時の意識が必要です.どちらがよいという話ではなく、こうした意識の使い分けを、私たちはふだんから気づかないままに行なっています.葉の表裏の観察はこの違いを意識する、手軽な方法です.

そして、この意識化を何度も経験していくと、自分のなかで起きているモードチェンジがはっきりとわかるようになってきます.これを書いている今の時期はちょうど稲刈りの直前なのですが、稲穂のきらめく田園を歩いている時などは細かく葉の表と裏、反射と透過が織物のように反復されていますので、それに呼応して切り替わる私の意識に注意を向けていると、単純に面白いです.

空間から解放された色

もう少し深掘りすると、葉の裏側を見ている時=透けた光を見ている時は、私たちの視線からは空間的な感覚が抜けていきます.表の表面を見ている時は、その葉がどの位置にあるかはっきりと意識しています.ですが裏側の、透けた緑色を見ている時は、もちろんそこに葉が存在することはわかっていても、あの独特の輝く緑色のなかに、空間的な認識が溶け込むように消えていきます.そしてこうした見方に慣れるほど、視線の先は触れるべき対象を失い、さまようことになります.このような視覚の、空間性からの解放が、かえって心地よさをもたらすのかも知れません.

ところでこのような空間性から解き放たれた色彩は、ジェームズ・タレル(James Turrell)氏の色彩空間に特徴的なものです.タレル氏はアメリカの現代美術家で、らせん教室ではよく登場する名前です.直島に作品がいくつかあり、皆で研修に出かけたりもしました.タレル氏については、また機会があれば書いてみたいと思います.