『風景への目覚め』XI章 未来への責任 – 景観の利用・管理・発展をめぐって(内容紹介)

『awakening to landscape』の第11章の概要をご紹介します.同書は『Erwachen an der Landschaft』(1992)の英訳版で、ヨヘン・ボッケミュール氏らによるゲーテ的な認識論にもとづく風景研究をまとめたものです.

このページに掲載しているテキストの作成にあたっては、まず英語版書籍の文字起こしと翻訳をAIで行ない、それをふまえて作成しました.全文の翻訳や、必ずしも要約を意図したものではない点にご注意ください.あくまで内容の全体的なイメージを、私がAIを用いて作った文章です.後半には理解のための補足的な解説集をつけています.

AIを多用していますので、内容の誤認やハルシネーションが含まれている可能性があります.その点はくれぐれもご注意ください.また、用心のため二次仕様はご遠慮くださいますようお願いします.とはいえたいへん興味深い内容ですので、本格的に学びたい方、研究したい方はぜひ原文にあたってください.

お急ぎの方は会話形式の音声による簡単な紹介もつくりました.
ゲーテ的な風景研究にご関心をもっていただければ幸いです.

『風景への目覚め』XI章 未来への責任 – 景観の利用・管理・発展をめぐって(音声による内容紹介)

大地と人間の新しい関係を求めて

~バイオダイナミック農業が描く未来の農村風景~

私たちが普段口にしている野菜や穀物は、どのような畑で、どのような想いで育てられているのでしょうか。スーパーに並ぶ真っ直ぐで均一な野菜たちを見ていると、なんだか工場で作られた製品のようにも思えてきます。実は今、世界の農業は大きな曲がり角に立っているのです。

失われていく農業の魂

農業に携わる人は、畑を耕したり種を蒔いたりするとき、必ず何かしらの指導原理や理想を持って作業をしています。昔の農家の人たちは、その土地の気候や土の性質、季節の移り変わりを肌で感じながら、代々受け継がれてきた民族的な知恵に基づいて農業を営んでいました。ところが現代では、主に「どれだけ多く、効率よく収穫できるか」という経済的な指標ばかりが重視されるようになってしまいました。

現代の科学技術は確かに強力です。計算可能なことなら何でも実現できるようになりました。しかし、そこには見過ごされている重大な問題があります。科学技術のアプローチは本質的に「分析的」で、物事を細かく分けて考えるため、全体のつながりが見えなくなってしまうのです。

その結果、小麦や牛といった生命体が、生産システムの単なる「機能的な部品」として扱われるようになりました。例えば、コンピューター制御の水耕栽培では、植物は自然の生物圏から完全に切り離されて育てられます。確かに特定の目的は効率よく達成できますが、それは必然的に偏ったものとなり、様々な「副作用」を生み出します。

肥料による湖沼の富栄養化、生物種の絶滅、そして農業従事者の疎外感。何日もトラクターを運転し続ける農家の人たちは、本当に自然の世界と向き合っているとは言えません。多くの人が農業を離れ、都市部へと向かうのも、こうした農業の「非人間化」と無関係ではないでしょう。

ヨーロッパの農村景観に刻まれた民族の魂

ヨーロッパを旅行したことがある人なら、あの美しい農村風景に心を奪われた経験があるかもしれません。緑の牧草地と黄金色の麦畑、そこに点在する森や小川、石造りの農家や教会の尖塔。まるで絵本の世界のような風景は、どのようにして生まれたのでしょうか。

実は、この問題を考えるには、民族と環境の間に存在する深い相互関係を理解する必要があります。例えばスウェーデンに生まれた人は、その土地の食べ物を通じて体が文字通りスウェーデンの土壌の一部となります。そして感覚器官を通じて、その土地の光に満ちた繊細な感受性が魂の基本構造に刻み込まれていくのです。これがスウェーデン民族の文化的特質の根底にあります。

しかし重要なのは、この関係が一方向的ではないことです。景観が人間に影響を与えるだけでなく、人間の精神と魂もまた環境に深い刻印を残します。ヨーロッパの耕作景観が他の地域と比べて驚くほど豊かで多様なのは、キリスト教的理想に満たされた民族魂が、何世紀にもわたって大地を自分たちの精神的イメージに従って創造し続けてきたからなのです。

中世の農業には、現代では失われてしまった重要な特徴がありました。それは作物栽培と動物飼育の「結婚」です。キリスト教化された農民の意識の中で、本来対立的だった二つの農業形態が内面的に統合され、相互作用を生み出したのです。牛は単なる生産手段ではなく、植物性飼料を質的に分析し、その土地の特性を深く理解する存在でした。牛の消化過程で行われるこの質的分析の結果は堆肥として土地に還元され、失われたバランスを回復する薬のような働きをしたのです。

このような「相互浸透」の原理によって、ヨーロッパの耕作景観には独特の美しさが生まれました。それは単なる機能的な関係ではなく、森林、畑、牧草地、動物、人間のすべてが有機的に結び合わされた芸術作品だったのです。

植物が語る土地の物語

では、失われた自然との深いつながりを取り戻すには、どうすればよいのでしょうか。一つの重要な手がかりは、植物たちの示す姿の中にあります。

同じ種類の植物でも、育つ環境によって全く違った形態を示すことがあります。例えば、ノコギリソウという野草を比較してみましょう。フランスのアルデシュ地方(海抜800メートルの温暖な地域)では、背が高く細身で、比較的小さく密度の高い葉と、密で頑丈な花序を持った形に育ちます。一方、ノルウェーのロム(海抜450メートルの乾燥した山間部)では、同じ高さまで育つことはあっても、より幅広く空間に広がり、緩やかな構造の葉と繊細な花を持つ形になります。

これは単なる偶然ではありません。植物は、その土地の気候、土壌、湿度、光の質といった環境要因のすべてを感じ取り、それに応じて自分の発達の可能性を表現しているのです。つまり、植物の形態を注意深く観察すれば、化学的な土壌分析だけでは捉えきれない、その土地の本質的な特性や「個性」を読み取ることができるのです。

しかし、ここで「どちらが典型的なノコギリソウか」という問いが生まれます。実は、これこそが従来の科学的思考の限界を示しています。植物の標本は、その特定の生息環境についてのみ有効な情報を提供するのであって、抽象的な「典型」など存在しないのです。重要なのは、その土地で育つ植物の姿の中に、その場所の独特な環境条件と発達の可能性が表現されているということなのです。

このような植物観察を農業実践に取り入れることで、農業者は与えられた状況に応じて自分たちの指導原理を継続的に発展させ、調整することができるようになります。そして破壊ではなく変容を通じて、土地をさらなる発展へと導くことが可能になるのです。

その土地に根ざした品種を創造する

現代の農業では、遺伝的に均一な品種が世界中で栽培されています。スイスでは小麦の70〜80%が「カリーナ」という単一品種に占められています。このような画一化は効率的に見えますが、実は大きなリスクを抱えています。新しい病害が発生すると、抵抗性が一度に破られ、広範囲にわたって被害が拡大する危険性があるのです。

しかし、より根本的な問題があります。現代の品種は「どこでも栽培できる」ことを目指して開発されています。窒素肥料、茎短縮剤、農薬を使用すれば、ほぼどこでも高収量を得ることができます。これは確かに育種家にとっては商業的に有利ですが、特定の品種がその土地の土壌に与える長期的な影響については、ほとんど考慮されていません。

これに対して、新しい育種のアプローチが提案されています。従来の方法では、研究所で品種を完成させてから世界各地に配布していました。しかし新しい方法では、最初の交配のみを育種センターで行い、その後は実際にその品種を栽培する農場で、年々種子を選別しながら品種を発達させていくのです。

このシステムでは、自然選択と人為選択が同時に、理想的には同じ方向性を持って働きます。品種は文字通り「その土地で」発達し、地域の環境条件に深く適応していきます。しかも、遺伝的に均一な純系ではなく、継続的に育種可能な集団系統を目指すため、栽培地と共に進化し続けることができるのです。

この考え方の基礎には、「成長するすべての植物が環境との特定の関係を表現している」という認識があります。したがって、栽培地への適応は単なる技術的課題ではなく、植物と環境の生きた関係を理解し、それを農業実践に活かすという、より包括的な取り組みなのです。

ゲーテアヌムに見る統合された世界観

スイスのドルナハという小さな町に、「ゲーテアヌム」という独特な建物があります。人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーが設計したこの建物と周辺の敷地は、建築と自然が完璧に調和した「総合芸術作品」として知られています。

シュタイナーの設計思想は明確でした。「くるみの実と殻が同じ法則に基づいて創造されているように、人智学的精神科学(核心)とそれを包む建築形態(外殻)も、同じ形成力によって生み出されるべきである」。つまり、内容と形式、精神的活動と物理的環境が、同一の原理から統合的に発展すべきだという考えです。

興味深いのは、最初のゲーテアヌム(1922年に焼失)と第二ゲーテアヌム(現在の建物)の違いです。双ドームを持つ最初の建物は、周囲の空間から多少閉ざされた印象を与えていました。一方、第二の建物は景観と深く関係し、実際にその一部であるかのように見えます。強く彫刻された形態は、一日中、季節を通じて光と影の変化を美しく表現し、灰色のコンクリートと東西の対照的な設計は、ジュラ山脈の石灰岩風景の特徴を芸術的に表現しています。

敷地の植生管理においても、深い思想が実践されています。単に「自然保護」を目指すのではなく、「生命は発展を意味する」という原理に基づいて、絶えず進化する環境づくりが行われています。果樹園の特性を保持しながら、地域固有のジュラ植物を大切にし、外来植物も慎重に配置することで、豊かで多様な生態系を育んでいます。

重要なのは、これが単なる庭園管理ではなく、バイオダイナミック農業の手法に基づいた「生態学的に効果的な維持」だということです。ここでは、人間の創造的な意図と自然の発展法則が調和した、新しい環境創造の可能性を見ることができるのです。

自由から生まれる新しい創造

バイオダイナミック農業の核心には、現代農業の問題を根本的に解決する画期的なアプローチがあります。それは、農業従事者が単に既存の技術を適用するのではなく、自分自身の洞察と判断に基づいて創造的に行動するという考え方です。

バイオダイナミック農業では、特別な「調剤」と呼ばれる準備物を使用します。農業者は春にタンポポやカモミール、ノコギリソウの花を集め、秋に農場の牛が屠殺される際に、その小腸や腹膜といった器官に薬草の花を詰めて土中に埋めます。冬の間、これらは大地の力にさらされ、春になると細かい腐植の形で取り出されます。

この調剤の製造過程で何が起こっているのでしょうか。薬草は野生植物として、牛の器官は動物として、土壌は鉱物として、それぞれ自然界では別々の進化の系統に属し、異なる場所に存在しています。人間の活動が、これらの自然界で完成された異なる要素を結び合わせ、相互浸透させることを可能にするのです。

ここで決定的に重要なのは、この活動が人間の自由な意志に基づいて行われることです。自然界には、このような作業を強制する法則は存在しません。人間だけが、自分の判断で自然の異なる要素を組み合わせ、自然界には存在しない新しい可能性を創造することができるのです。これは、人間が自然に対して単に受動的に適応するのではなく、積極的に創造的な関係を築くことを意味しています。

新しい農業文明への展望

これらすべての取り組みに共通している核心的な洞察があります。それは、「農場全体を発展する個別的存在として捉える」という考え方です。農場は単なる生産施設ではなく、独自の個性と発達の可能性を持った生命体として理解されるべきなのです。

この視点から見ると、現代農業の問題は科学技術そのものにあるのではなく、一面的で還元主義的な思考にあることが明らかになります。効率と収益だけを追求し、「副作用」を看過する農業は、必然的に自然環境を破壊し、農業従事者の精神的な充実感を奪ってしまいます。

しかし、新しい農業の道筋は確実に見えてきています。それは、植物との対話を重視し、土地の個性を尊重し、地域全体の調和的発展を目指す農業です。そこでは、農業者は単なる技術の適用者ではなく、自然界の潜在的可能性を洞察し、それを健全な方法で実現する創造的な存在となります。

この新しい農業は、単に食料を生産するだけでなく、美しい景観を創造し、豊かな文化を育み、人間の精神的発達を促進します。それは、過去の民族的知恵を現代的に発展させながら、人間の自由と創造性に基づいた、これまでにない農業文明の可能性を示しているのです。

私たち一人ひとりが、食べ物の背後にある農業のあり方に関心を持ち、そうした取り組みを支援していくことで、人間と自然が真に調和した新しい世界の創造に参加することができるでしょう。

補足解説

ここからはいくつかの補足的な解説を添えます.いずれも私自身がこの論文を理解する過程で感じた疑問などをもとに、AIと対話しながら作成したものです.

バイオダイナミック農法の特徴

バイオダイナミック農法は、1920年代にルドルフ・シュタイナーが提唱した農業手法で、有機農業をさらに発展させたものと考えることができます。「生命力学的農業」とも呼ばれ、農場全体を一つの生命体として捉える点に大きな特徴があります。

この農法では、化学肥料や農薬を一切使用しないだけでなく、記事で紹介したような9種類の特別な「調剤」を使用します。また、月や惑星のリズムに合わせた作業暦に従い、農場内での物質循環の完結を目指しながら、土壌の「生命力」を重視した栽培を行います。

他の農法との違いを理解する

有機農業が主に「化学的なものを使わない」ことを重視するのに対し、バイオダイナミック農法は「生命力を高める」ことを積極的に目指します。調剤の使用や天体リズムの考慮など、より包括的で哲学的なアプローチを取ることが特徴です。

一方、日本でよく知られている自然農法が「何もしない」ことを理想とするのに対し、バイオダイナミック農法は人間が積極的に自然と協働することを重視します。これは記事で説明した「人間の自由な創造行為」という考え方と深く関係しています。

効果と評価をめぐる議論

この農法を支持する人々は、土壌の微生物活性が向上し、作物の味や栄養価が向上すると主張します。また、生物多様性が豊かになり、農場全体のバランスが改善されるという報告もあります。

しかし一方で、科学的根拠が不十分であり、天体の影響などは迷信的だとする批判的な見方もあります。収量が慣行農法より低い場合があることや、手間とコストがかかることも課題として指摘されています。

ワインの世界での広がり

実は、日本でバイオダイナミック農法が最も知られているのはワインの分野かもしれません。「ビオディナミワイン」として、フランスのブルゴーニュやシャンパーニュ地方の著名な生産者が次々と導入し、その品質の高さで注目を集めています。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティやルイ・ロデレールなど、世界最高峰のワイナリーがこの手法を採用していることで、その価値が広く認識されるようになりました。

世界での実践と日本の現状

現在、世界約60カ国でバイオダイナミック農法が実践され、「デメター」という国際認証制度も確立されています。ヨーロッパでは比較的普及しており、特にドイツ、オーストリア、スイスでは消費者の認知度も高くなっています。

日本では、まだ実践農家は少数ですが、北海道、長野県、静岡県などで取り組む農家が存在します。都市部の自然食品店などで購入することもでき、価格は一般的に有機農産物よりもさらに高めに設定されることが多いようです。ワイン以外でも、パンや乳製品、野菜などで少しずつ市場が形成されつつあります。

現代社会における意義

バイオダイナミック農法は、単なる農業技術を超えて、人間と自然の関係を根本から見直す試みでもあります。環境問題や食の安全性への関心が高まる中で、その思想的な価値は注目に値するでしょう。特に、記事で説明したような「相互浸透」や「農場を個別的存在として捉える」といった考え方は、現代の分析的・還元主義的な思考への重要な問題提起となっています。

ただし、実践にあたっては相当な学習と経験が必要で、誰でも簡単に始められるものではありません。まずは思想や基本的な考え方を理解し、可能な部分から取り入れてみるというアプローチが現実的かもしれません。