神功皇后の話題、ふりかえり

見慣れた景色が別のものに見えてくる、そんなテーマを掘り起こすらせん教室.

前回は埋もれた歴史 “神功皇后” をとりあげました.

「埋もれている」と言っても、福岡の神社の由来や地名のあちこちにゆかりの物語が残っていますから、神功皇后とその仲間たちについて、少し意識するだけで楽しみや発見が増えるはず…

そんなノリで挑戦しましたが、興味をもっていただけたようで、よかったです.

井手先生、板書がたいへんでしたね.
お疲れさまでした.

 
今回はとりあえず神功皇后の物語をシェアしたい、ということでほぼ知識的な話にとどまりました.
時間の関係もありましたし.

でもその中で新たな疑問も生じたので、面白いのはむしろこれからかな、という気もしてます.

この先、暮らしのなかで気づくこと、その気づきから生まれる興味・関心、
そういった、みなさんの中に生まれる自然な展開も楽しみです.

気づいたことがあったら、どうぞ今後も話題提供してください.

 
講座のなかで提示されたあらたな興味などを、下にメモしておきたいと思います.

神功皇后が埋もれた理由

神功皇后の物語が埋もれている理由
 ↑
あらためてここに関心が向きました.

戦前の歴史観が戦後の歴史観に180度転換するなかで封じられてしまった、と私は理解していましたが、
しっかり調べると、また別の説が出てくるのかも知れません.

半島側の記録は?

それと、参加してくださった方から、「今の日本では知られていないけれど、韓国側で神功皇后は割と知られている」みたいだ、というお話が出ました.

確かに、朝鮮半島側の記録も確認してみたいですね.
とても興味深いです.

博多曲物

これも参加してくれた方からの話題提供.

博多曲物(はかたまげもの)もまた神功皇后由来である、という話があるそうです.

「神功皇后が征韓の際に博多の馬出で皇子をお産みになり、その胞衣を蔵める容器を作ったことがその始まりとも言われますが、真偽のほどは別として、元禄時代の大学者、貝原益軒の著「筑前国続風土記」の記述から、当時の様子を知る事が出来ます。」
https://magemono.com/

上を引用した玉樹さんの事業所は志免町で、応神天皇の胞衣が埋められた宇美町のすぐお隣です.

ちなみに志免町の「しめ」という地名も宇美八幡と関連があるようです.

御輿来海岸(おこしきかいがん)

神功皇后の話ではないのですが話題にしたのでリンクを貼ります.

御輿来海岸は、宇土半島北岸に位置し、名の由来はその昔、景行天皇が九州遠征の際、美しい海岸線が天皇の目に留まり、しばし御輿を駐め魅入られたという伝説からその名がついたとされ「日本の渚百選」・「日本の夕日百選」に選定されています。
https://www.kanponoyado.japanpost.jp/aso/blog/130330/

景勝地として有名.ですが季節と潮の状態に注意です.

https://city-uto.com/archives/1

それにしても、何気ない散歩での気づきが、こんな風に展開しているのには驚きます.

ふくおかを 歩めば出ずる 皇后の
足あと遠き 昔をば思わん

なんつって.