6月2日(水)の定期講座では、神功皇后(じんぐうこうごう)にフォーカスするということで、少しですが、知ってることをメモします.
皇后の冒険物語の本編は、井手先生の講義をお楽しみに.
ここではその補足情報として、登場人物(神?)を中心にご案内します.
もちろん、講義にあたり必須というわけではないのでご安心を.
ただ、名前の読み方が難しいので事前に馴染んでおくと入りやすいかと思います.
興味のある方はご覧ください.
神功皇后(じんぐうこうごう)
日本書紀に登場する、天皇の后(きさき).朝鮮半島に侵攻(=三韓征伐)したと伝えられてます.
身重ながら、その産気を紛らわせつつ新羅を秒で平らげた女傑だとか.卑弥呼と同一では、という説も根強いです.
日本書紀には開国以来の歴史が綴られているわけですが、最初のほうはふつうに神話です.
でもこの神功皇后が登場するあたりから急激に現実味が増してきます.
この皇后、戦前においては紙幣の肖像に使われるほど有名キャラでしたが、やったことがやったことなので、教科書から消えました.
あの豊富秀吉の朝鮮出兵と同じく、物議をかもしやすい話なんでしょう.
福岡ではそこらじゅうの神社に名前が残ってるのに、多くの人が知らないというのもおもしろいところ.
ちなみに神功皇后は、あの香椎宮に祀られています.
関係ないですが、私は名前の読み方が、なかなかしっくりこなくて、
長いことこの皇后さんを敬遠してました.
じんこう? じんぐ?? って感じで.ぐう、って普通に読むんですかね?
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后の夫.
かの有名な日本武尊(やまとたける)の子と伝えられてます.
神功皇后の物語のなかではこの仲哀さん、
皇后の言うことをきかなかったために
けっこうあっけなく死んでしまう
残念な存在です.
香椎宮に皇后とともに祀られていますが、
福岡では香春町から行橋に抜ける
仲哀トンネルにもその名を留めてます.
心霊スポットとして超有名ですよね.
* 旧トンネルのほうですが、今は入れません.
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后の子.身重のまま戦地に赴いた皇后の、そのおなかにいた子どもです.
戦の神として全国に広まった
八幡(はちまん)さまとはこのお人.筥崎宮の主祭神になっていたと思います.
それと、神功皇后が帰国後に応神天皇を産み落とした場所が
宇美町の宇美八幡.
安産祈願の子安石が人気です.
胞衣(えな)を埋めた場所は奥宮にされてます.
ちなみに当教室ではこの宇美八幡、しめ縄が樹脂製の、ちょっと残念な神社として当教室では有名ですが、私が最近行ってみたところ、天然の藁製になってました.
由緒ある神社なので、よかったです.
武内宿禰(たけのうちのすくね)
半島侵攻を取り仕切った神功皇后の忠臣.
皇后だけでなく、5代の天皇に仕えたと言われていて、それはあまりに寿命が長すぎと突っ込まれることも多い.
出自についても諸説ある、謎多き人物です.
これも読み方が難しすぎますが、宿禰(すくね)というのは肩書きっぽいものらしいので、私は武内さんと呼んでます(知り合いか?)
武内社とか黒男(くろどん)社など、いろんなところにいろんな名で祀られてますが私は宗像の織幡(おりはた)神社が記憶に残ってます.
織幡神社は皇后が三韓征伐に赴く際に紅白の軍旗を織らせた場所、と伝わっています.
さきほどの香椎宮の奥にある神水の隣には今も武内さんの末裔が住んでいるという話も.
ちなみに私が神功皇后に関心をもち始めたのは、うちの近所を流れてる用水路(裂田溝)をこの武内さんが通した、と伝えられていたことからです.
舞を演じて雷を呼び、それで巨岩を砕いて通したそうで、その岩盤と思しきものが
実際に現地に保存されています.
阿曇磯良(あずみのいそら)
半島出兵の際に神功皇后に召喚された海の神さま.
ほかの神々と違ってしぶしぶ&遅刻して現れ「アワビや海藻にまとわりつかれちゃってて、、、」みたいな言いわけをしたとか.
モチベーションが疑わしい態度ですが、実際の遠征で大活躍したのは、この磯良とその仲間たちだったと思われます.
なにしろ潮の満ち引きを自在に操る干珠満珠(かんじゅまんじゅ)という玉をもっていたそうですから敵なしです.
志賀島の志賀海(しかうみ)神社の宮司さんはこの阿曇磯良の末裔.
教室でも以前、お話を伺ったことがあります.
阿曇族(安曇族)は日本史上のビッグネームで、この方面の歴史に詳しい人たちはこの名前を聞くだけで目の色が変わるとか(私調べ).
志賀海神社には「神功皇后出兵絵巻」が残されているそうです.
めっちゃ見たいですね.
神功皇后が凱旋したと伝わる大川の風浪宮(ふうろうぐう)には、あわびなどにくっつかれている磯良を表した像があります.
→風浪宮
この風浪宮の系譜も阿曇族の分家とか.
にしても皇后軍が有明海側に戻ってきたと知った時は意外でした.
住吉三神
神功皇后を三韓征伐に導いた海の神.
憶える必要はないですが、
– 底筒男命(そこつつのおのみこと)
– 中筒男命(なかつつのおのみこと)
– 表筒男命(うわつつのおのみこと)
と、浅い海から深海という縦の
オーダーなのが興味深いです.
住吉三神を祀る住吉神社は全国にありますがなかでも博多の住吉神社は三大住吉に数えられています.
ちなみに福岡市の隣の那珂川市には、大胆にも最古の神社を標榜する現人(あらひと)神社があり、住吉神社の元宮だと言っています.
三韓征伐(さんかんせいばつ)
三韓は高麗・百濟・新羅のこと.
神功皇后が直接下したのは新羅で、あとの二国は、潮の満ち引きを操る皇后軍に恐れをなして降ってきたとされています.
「いやいや、そんな都合のいい話ある?」
と思いましたが、当時の半島南部には辰韓、馬韓、弁韓という国があって、その三国と新羅がごっちゃになってるのではないかという説もあるそうです.
ともあれ古い話で記録も少なく、神功皇后の話にはこの件だけでなく諸説あります.
なかでも興味深いのは神功皇后自身がもともと渡来系だったかも、という説.
半島と日本、切ってもきれない関係が連想されます.
ここで挙げた項目はほんの一部ですがひとつでも調べ始めると、芋づる式に情報が出てきます.
ご案内した
– 神功皇后
– 応神天皇(八幡神)
– 住吉三神
– 武内宿禰
このあたりはセットで祀っている神社も多く、私は「神功セット」と個人的に呼んでいます.
代表格は宇佐八幡でしょう.
加えて、磯良と、その関連と思われる綿津見神も関連づいてるケースが多いですね.
久留米の高良大社もそんな感じです.
みなさんの近所にある神社や地名も、御由緒を見るとここに挙げた名前がけっこうな確率で出てくるのではないかと思います.
北部九州は、歴史が身近に感じられていいですね.
【付(地名など)】*別タブでひらきます
→三苫の由来
→御船山(武雄)の由来
→嬉野の由来
→干珠島・満珠島について
【付(時代の整理)】
神功皇后が活躍したのは3世紀
馬韓(ばかん)は紀元前2世紀末から4世紀中葉
新羅は6世紀(503年)成立.半島中部以南を統一したのは7世紀
白村江の戦いは7世紀(663年)
日本書紀の成立は8世紀(720年)
めっちゃ楽しみになってきました!
ゆらんさん、コメントどうもありがとうございます.
当日、いろいろとまたお話を聞かせてください.
お待ちしてますmm